ギリシャ危機
- 【よみ】
- ぎりしゃきき
- 【英名】
- Greek Debt Crisis
ギリシャ危機とは、2009年10月にギリシャのパパンドレウ新政権(全ギリシャ社会主義運動)が、それまで対GDP比3.7%とされていた財政赤字が実際には12.7%だったと旧政権(新民主主義党)の財政赤字の改ざんを明らかにしたことが発端。のちにギリシャ政府が財政赤字に対して3カ年財政健全化計画を発表したものの、楽観的過ぎる経済成長が前提であったため複数の格付け機関が実行不可能と判断し相次いでギリシャ国債を格下げ、債務不履行(デフォルト)への不安からギリシャ国債が急落(利回りは急騰)。欧州債務危機の発端となった。
- ギリシャ危機を招くきっかけとなった巨額の財政赤字の原因は
- ①公務員への手厚い保護
- ギリシャは元々公務員が多い国として有名で、人口約1100万人のうち約100万人(約10%)、労働人口の約25%が公務員。さらに、公務員の給料は一般的な職業の約1.5倍ともいわれていた。
- ②年金支給開始年齢の低さと高額な支給
- 当時のギリシャの年金は55歳から受給できる仕組みとなっており、受給額は現役時代の80~90%と高額。引退後は楽をしたいという高齢者への配慮(選挙での票集め)
- ③市民の納税意識の低さ
- 世論調査では国民の半分近い割合で「脱税は市民の権利」と答えるなど、納税意識が低く巨額な予算が必要とされながらも、税収がなかったことが挙げられる。
- このギリシャ危機に対して
- 1)2010年5月 IMF、EU、ECBの「トロイカ体制」による「第一次支援 総額1,100億ユーロ」
- 2)2012年2月 IMF、EU、民間による「第二次支援 総額1,300億ユーロ」
- ギリシャ政府に対し、増税・年金改革・公務員改革・公共投資削減などの厳しい緊縮際税策や公益事業等の大規模な民営化が支援金受け取りの条件とした。
- 3)2015年8月 EUは欧州安定メカニズム(ESM)に基づき「第三次支援 3年間で最大860億ユーロ」
- と3度の支援を受けて2018年8月に全ての支援プログラムが終了し、約8年ぶりに支援脱却を果たした。ただ、その間にも国内経済の景気減速や緊縮財政に疲れから国民投票で緊縮拒絶を示す(最終的には財政改革の法案化を条件に支援継続)など、ギリシャ国民も厳しい緊縮財政の負担を強いられることとなった。
また、EUがギリシャを見捨てなかったのは、ギリシャはロシアと地理的に近いこともあり、ギリシャを孤立化させてしまうとEUに地政学的リスクを生じさせる可能性もあったことも一因として言われている。2015年にはギリシャのチプラス首相(当時)がモスクワとサンクトペテルブルクへ訪問しロシアがギリシャに接近しているとの見方も浮上したが、これはギリシャがユーロ圏の債権者に圧力をかける狙いだったとの見方が有力。
2020年7月14日 更新